最初はしょうがなくの練成会
飛田給へ来たのは、親に無理矢理来させられたという感じで、全く乗り気ではありませんでした。
来てしまった以上は、しょうがなくやるしかないという、十日間の練成でしたが、驚きの連続でした。
練成会で学んだ四つのこと
講師の方々の講話や、笑いの練習、「浄心行」実修や「先祖供養祭」、道場の外での献労や参拝など、さまざまな研修項目が組み込まれていて、大変ながらも、あっという間に過ぎていった毎日でした。さまざまな研修項目を通じて、多くを学ばさせて頂きました。
一つ目は、神と人とは一体で、人間は神の子であり、迷いや苦しみは自分の心が作り上げた、虚像の産物であり本来は存在しなく、気持ちの持ち方一つで、いくらでも好転していくことができるということでした。
二つ目は、何事は、日々の努力を繰り返し、継続していくことで、自分のものになっていくということでした。
三つ目ですが、一番自分が感銘を受けたことは、自分が自分一人だけの力で生きているようでいて、実は、神様や先祖や両親や兄弟や、その他、とても数え切れない程、沢山の人や物や事によって生かされて、護られ許され、強く深く大きい偉大な愛に包まれて、生かされていたことに気付かされたことでした。
最後に、明るい笑顔や笑いを常に、心や表情に意識して、表現する生活をしていくことで、すべてが始まっていくという、笑いや笑顔の大切さでした。笑っていると、楽しいこと
がついてくるという教えは、本当に心に響きました。笑うということを、もっともっとしていかないといけないと、痛感しました。
親が生長の家をやっているし、自分も小さい頃、少しだけ練成会には参加したことがあったので、多少は生長の家の教えを知ったつもりでいましたが、日々さまざまな研修の中で、本当の生長の家のみ教えに触れさせて頂き、人間は神の子なのだという大原則を、学ばせて頂き、引き出して頂いたと強く感じています。
個人面談で神想観を決意
個人面談では、自分の希望を叶えるためには、背水の陣を引き、明るく力いっぱい、元気いっぱい挑戦していけば、進歩向上して、夢が達成し、チャンスをつかみとることができるとの指導を、頂きました。あと、それと並行して、毎日一日一回以上は、必ず「神想観」を実修して、心を光明化すると共に、感謝の気持ちを常に忘れず、笑いの練習もしていくことも、大切だと教わりました。「神想観」については、忙しければ、時間のある時に一〇分でもいいから、とにかく毎日実修していくことが大切ということも、教わりました。今の自分でも、それならばやっていけそうなので、必ず毎日実習し、徹底してこうと思います。いずれば、聖経読誦も実修して、人間神の子の自覚を、しっかりと自分のものにしていきたいです。過ぎてしまえばあっという間でしたが、充実した素晴らしい、生涯忘れられない十日間に、心から感謝の気持ちでいっぱいです。
大笑いしながら涙あふれる
最終日の「笑いの大会」も、驚きの研修行事でした。五分くらい笑い続けるというもので、最初の方はムリにしょうがなく、笑っているフリをしていた感じでしたが、途中から、今までの辛かった駄目な自分の、苦しんできた様子が、走馬灯のように次々と思い出され、そんな日々を過ごしてきた自分への後悔や自責の念で、大笑いしながらも人目をはばからず自然と涙がとめどなく、あふれ出してくるという、不思議な体験をしました。人前で大笑いしながら大泣きしてしまうという、人生の中でも二度とないであろう、自分の恥ずかしい行為に、ただただ自分自身が驚きました。今まで積み上げ、貯め込んでしまってきた、心の中のいろんなガラクタが、心の外へ洗い出され、きれいさっぱり大掃除されたかのように、大会が終わった後のすがすがしさは、一生忘れることができないと思いました。
※体験者の年代表記は体験当時の年代となります。