再スタートとして練成会を受講
もう数日で七十四才になります。後何年の寿命を預けるかは解りませんが、その才月を最高に輝いて、神様が私に下さった天分を、花咲かせ実を結ばせ、その生き様の中でこれまで頂くばかりの「愛」へのご恩返しが出来たら・・・その様な切なる願いで、今月7月という誕生月を再スタートの月として、短い後半の五日間でしたが、練成を受講しました。
今年こそはゆっくりゆったりを目標に、毎年の新年を出発しながら、いつしか走り続けてばかりの毎日・・・流れる雲に、水の瀬音に、四季折々の草花に感動し、神の生命の輝きに小躍りすることは勿論、日々の出来事の一切の、行き届くことすら出来ぬままの毎日の中、今月の五日間は、道場内でご講話下さる諸講師、職員の皆様の仕草に、ご講話にそして、中庭のイスにゆったり背を預けて、聴く鳥のさえずり、頬をなでる風、雨音・・・そのひとつひとつが、まるで幼子が母に抱かれた様な安らぎを覚えました。
それは背負っていた荷物を、すべて下ろした様な安堵感です。そんな安らぎと新鮮さを私に頂いたのは、きっと、熱心にご指導下さる諸講師の誠実なお姿、やさしく明朗なアナウンス、三度が三度の美味しい真心こもった食事、そのすべてが「あ~、来て良かった」と思わせて下さいました。
杖を必要としていた足が、道場に着いた途端に痛みが取れ、正座が出来るようになった
ここ数年、講師としてお世話になった練成会は、どこにいても「講師」でした。この度の一受講者としての参加は、その「講師」もなく、只素直に受講出来たのも大きな要因でした。此処へ来る前、地元で様々な相談を受け、神様、実相直視出来る目をと願いつつ来ましたが、今、その様な事より、自分が神の子、自分が尊くて、唯々その事が嬉しくて、そのことだけで他は空っぽ状態です。
数ヶ月前から足が痛くて正座が出来ませんでした。歩くのも杖を必要としていましたが、何と初日から「神想観」も聖経読誦も、正座が出来ています。すっかり痛みも取れました。
「大自然讃歌」「観世音菩薩讃歌」「四無量心を行ずる神想観」、一言一言に感動で心が震えました。スター・デイリーが聞いたと言われる、キリストの「吾が子よ、吾が子よ、愛する吾が子よ」の言葉が、耳の奥で鳴り響いています。信じて祈れと言われても、何を信じたらいいのか、解らなくなっていましたが、「信仰とは100%の信仰と100%の全托である」とのご指導に目が覚めました。
もう一度誓う・・・「日本一の地方講師になってお役に立つ」
もう大丈夫です。自分の進む道が定まりました。何をしたら魂が歓ぶのか、何が天分で、何が使命かが分かりました。地方講師を拝命辞令を頂いたあの日、「日本一の地方講師になって、お役に立つ」と、誓ったことをもう一度誓います。
私には、人生の師とする人が三人います。その一人は、もちろん谷口雅春大聖師ですが、後二人は夫と長男です。御恩返しなければならない人々は星の数ほどおられますが、ことにこの最大の師に悦んでもらえるような、「キラキラ輝いて、最高に楽しい人生」をと、誓います。
佐野総務、泉講師、佐藤講師補を始めご指導頂いた諸講師、そして道場員の各部署の皆々様、ありがとうございました。心から感謝致します。皆々様から頂いたご愛念を、「真理の種まき」で、御恩返し致します。
【解説】
地方講師として大活躍されている多和田美子さん。そのパワフルでありながら愛に溢れ心優しく、説得力の強い指導にファンも多いですね。
その多和田さんが本年7月に飛田給練成を受講に来られました。そのときは足を引きずり杖をついていましたが、この体験文にもあるとおり、道場に着いたその日のうちに痛みが取れ正座が出来るようになったのです。
この体験は、ご本人の信仰と飛田給道場が66年余に亘り、祈りと聖経読誦、真理講話などが続けられて、その「癒しの霊波」が満ちている証拠でしょう。まことに“神霊満つる癒しの場”であるのが飛田給道場なのです。
多和田さんは強い決意をされて道場から帰られました。今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます。
※体験者の年代表記は体験当時の年代となります。